高校1年時に最高速(1年生)の最高速である148kmを記録し、
将来を期待された伊藤拓郎投手。
当時はすぐにでもドラフトで指名したい!
と各球団のスカウトに思わせるほどの逸材でした。
ところが多くの人にプロでの活躍を期待された選手が、
プロ入り後全く活躍できなかった。
ドラフト後全く活躍できなかった理由はどこにあるのでしょうか?
また、プロ野球を引退後、伊藤拓郎選手は現在何をしているのでしょうか?
確認してみましょう!
目次
伊藤拓郎の現在・プロ引退後
2014年にベイスターズを退団した後、伊藤拓郎選手は何をしていたのか。
プロ引退後はBCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスで野球を続けました。
それでもやはり投球フォームが安定せずに苦しんでいたんですが、
一つの転機を迎えます。
それはシーズンオフを利用してオーストラリアのウィンターリーグに参加したことです。
アデレード・バイトに所属し、1試合の先発を含む7試合に登板。
2勝0敗、防御率2.51の成績を挙げ、ポストシーズンにも2試合登板しています。
記録からもしっかりと結果を残していることがわかりますね!
このウィンターリーグに参加したことが、
完全に本来の自分を取り戻すきっかけとなりました。
そして130km台まで落ちていた最高速が見事に146kmを出すまで回復したんですね!
その後に残した伊藤拓郎選手の記録が完全復活を物語っています。
- 2016年:シーズンMVP (16試合に登板、8勝2敗、防御率2.48)
- 2017年:最多勝(13勝6敗)、最多奪三振(123)
この実績を引っ提げて現在は新日鐵住金鹿島硬式野球部で野球を続けています。
140kmを記録していますし、
とても安定したピッチングを披露していることがわかりますね!
加入1年目で十分に活躍しているといっていいでしょう。
ただ、ここまでたどり着くまでには平坦な道のりではありませんでした。
伊藤拓郎選手が最も輝いた高校1年から、
全く活躍できなかったドラフト後まで振り返ってみましょう。
伊藤拓郎が提供高校1年時はすごかった!
148km。
このスピードが高校1年生の日本最速記録です。
この記録を打ち立てたのは、帝京高校の伊藤拓郎投手です。
それまでは現在日本ハムファイターズで活躍している
中田翔選手が持っていた147kmが最高記録で、
その記録を塗り替えました。
春の選抜高校野球で背番号11番ながら主力として活躍。
なんと1回戦の神戸国際大附高戦と2回戦の三重高戦で
2試合連続で完投勝利するという偉業を成し遂げます。
未だに伊藤拓郎選手の記録は抜かれていないということは、
高校1年時の記録としてどれほどすごいかがわかりますよね。
大谷翔平選手は高校3年で160kmを記録しましたが、
それでも高校1年時は抜くことができませんでした。
まぁ、わずか2年で10km以上更新したのはある意味バケモノですが笑
帝京高校卒業後、プロで活躍できなかった理由
高校卒業後は、横浜ベイスターズドラフト9位で指名され入団しました。
ところがプロ人生は短く3年でプロ生活に終止符を打ちました。
一軍で2試合に登板にとどまりました。
高校1年時の記録からわかるように、
大谷翔平選手や中田翔選手よりを上回る記録を持っていた選手が、
どうして伸び悩んでしまったのでしょうか?
高校2年時の怪我
まず最大の原因が高校2年時に肘を故障したことにあります。
高校1年で148kmという最高速をだして、
プロのスカウトもまだ1年生の伊藤選手の事を
一番のドラフト候補と称賛していました。
そうなると、スピードの更新に自然と注目が集まっていきますよね。
本人も150kmを出したいと頑張っていました。
これが、故障をする原因となってしまったわけです。
指導者の不在
さらに運悪く同時期にピッチングを指導してくれるコーチがいなくなりました。
怪我をして、それと同時に投手を育てる指導者が不在となってしまったことで、
何が起こったかというとフォームの崩壊です。
ピッチャーにとって投球フォームはとても重要な要素で、
どれだけ活躍していても投球フォームを改造することで、
全く活躍できないこともあります。
その典型的な例が平安高校からオリックスにドラフト指名された
川口投手です。
圧倒的な実績を誇った川口選手もフォームを改造したことで、
何と、プロでは1勝もできませんでした。
伊藤拓郎選手も同じようなことが起きたといっていいでしょう。
消えた天才で伊藤拓郎が登場!
2018年12月2日放送の”消えた天才”で大谷翔平選手が勝てなかった野球選手として
伊藤拓郎選手が出演されます。
高校1年時の活躍から現在に至るまでのエピソード、
特に何故プロ入り後活躍できずに退団したのかが明らかになるでしょう。