MENU
芸能記事

北野武と元嫁・幹子、お互い不倫も離婚しなかった関係を時系列で

北野武さんの現在の奥さんが『カンヌ国際映画祭』で公的な場に初登場しました。

しばらくベールに包まれていた女性が登場したわけです。

そもそも何故北野武さんは長く連れ添った元妻と離婚をしたのでしょうか?

この記事では北野武さんが長年連れ添った元嫁の幹子さんとの関係について考察してみます。

北野武の元嫁・幹子は美人で漫才師だった!

北野武さんの元嫁の名前は幹子さんといいます。

 

北野幹子(きたのみきこ)
旧姓:松田
生年月日:1951年
年齢:72歳(2023年現在)
出身地:大阪府
学歴:武庫川女子大学短期大学部
元女性漫才師
ミキ&ヤワの女子大生コンビ 1971年デビュー
渚ミキ、内海ミキと改名
結婚後引退

大阪府出身で漫才としてミキ&ヤワの女子大生コンビとして971年にデビュー。

1978年に『大正テレビ寄席』で北野武さんと出会いました。

テレビ寄席はこんな感じの番組です↓

その後付き合い始めて、1980年に結婚。

1981年に長男の北野篤さん。

1982年に北野井子さんを出産しています。

ビートたけしと北野幹子の漫才

1989年10月に放送された『さよならオレたちひょうきん族 グランドフィナーレ』の放送での幹子さんとの夫婦漫才映像です。

夫婦漫才の映像は1981年10月10日の放送回で特別ゲストとして漫才を夫であるビートたけしさんと披露したわけです。

漫才のVTRを見た後のたけしさんは、”けっこう、うちのカミさんきれいだな!”とデレデレの状態。

1989年は夫婦の仲が良さそうな感じがこの映像から窺えます。

それを明石家さんまさんから茶化されていたのが印象的ですね。

しかし、自らの夫婦漫才を見た後の照れた態度とは裏腹に、実際は結婚をした3年後の1983年から事実上の別居状態だったようです。

【画像】北野幹子の美人な姿

北野幹子、美人引用元:スポニチ

この画像は1987年9月にビートたけしさんとの結婚生活について会見をする幹子さん。

1951年生まれですから、36歳ごろですね。

別角度がこちら↓

 

 

この記者会見では離婚に向けて話し合いをは見えたことを説明するために開かれた会見でした。

幹子さんの美しい姿に注目が集まりますが、この会見は二人の関係を終わらせるためのものだったんですよね。

幹子が離婚を決意

幹子さんが離婚を決意してから話し合い開始までの流れは以下の通り。

  • 1986年8月:写真週刊誌「フライデー」にたけしの愛人Aの写真掲載
  • 1986年12月:フライデー襲撃事件発生
  • 1987年5月:弁護士を通して離婚について話し合い開始
  • 1987年9月:記者会見

記者会見の中で幹子さんと記者のやり取りは

  • 離婚についてどういう考えか⇒2人とも納得している
  • 何故法的決着がつかないのか⇒事件(フライデー襲撃事件)が起こって時期を待つうちに延び延びになっている
  • 愛人Aさんについて⇒2人の中で色んなことを”燃焼”したので、彼女のことで自分が追い詰められたということはない
  • 離婚の原因について⇒私(幹子)があの人(たけし)の”成長”についていけなかった

幹子さんの言葉を見ると、夫婦関係は完全に終了していることが分かります。

しかしこの後にすぐ離婚が成立するかと思いきや、2019年の離婚まで30年以上婚姻関係が終わることはありませんでした。

北野武と北野幹子がお互い不倫をしても離婚しなかった理由とは?

1989年段階で幹子さんとの漫才をVTRで見たあとのテレ具合から、当時の視聴者は仲が良い夫婦というイメージを持った事でしょう。

しかし、1987年に幹子さんが離婚に向けた記者会見を開き、さらにさかのぼると実際は1983年から事実上の別居状態にありました。

だが、たけしは売れていくにしたがって自宅に寄り付かなくなっていく。83年に婚姻届を提出した頃には事実上の別居状態に。同年と85年の2度、たけしから離婚を切り出されたことがあったが、幹子さんは首を縦に振らず芸人の妻としてのプライドをのぞかせた。
引用元:スポニチ

仲が良いどころか、1983年と1985年に北野武さんから離婚を切り出されていました。

フライデー襲撃事件が起きたのは1986年の事。

襲撃の発端はたけしさんの不倫相手への強引な取材がありました。

2度の離婚の意志と、フライデー襲撃事件の発端から北野武さんの幹子さんに対する愛情は冷めきっていたのかもしれません。

フライデー襲撃事件後、の1987年8月に幹子さんは二人の子供を連れて地元の大阪に転居しました。

つまり、北野武さんの不倫問題が理由で地元に戻ったと考えるのが妥当でしょう。

幹子も不倫

たけしさんの女性問題が引き金となり幹子さんは地元に転居しましたが、幹子さん自身も落語家との不倫が発覚しました。

バイク事故で夫婦関係修復か

これで正式に別居状態だけでなく離婚が成立するのかと思いきや、たけしさんは大阪まで出向いて幹子さんを説得し連れ戻す事があったようです。

さらに94年のたけしさんのバイク事故での幹子さんは冷めきった夫婦とは思えない献身を見せます。

幹子さんが入院先の集中治療室の隣の部屋に泊まり込んで献身的に看病したこともあったが、本格的な復縁には至らなかった。
引用元:スポニチ

浮気の噂の絶えない別居中のたけしさんに対し、集中治療室の隣に泊まり込むほど献身的に看病したとは驚きです。

それでも本格的な復縁に至らなかったとあります。

関係者は「たけしさんは数年前まで酔うと当時(幹子さんの不倫)のことでグチをこぼすことがあった。どこかで心の傷になって、ずっと引きずっていたのかもしれません」と話した。
引用元:スポニチ

たけしさんは幹子さんの不倫がトラウマになっていたと思われます。

2度にわたるたけしさんの離婚の希望も受け入れなかった幹子さん。

それにもかかわらず、幹子さんは不倫をしました。

だからビートたけしさんの心の傷となったのか。

週刊プライムの記事では、2014年の不倫が発覚しても幹子さんはこのように答えています。

「実はたけしさんは愛人のことをかくしたまま、幹子夫人に離婚したいと告げていたそうです。夫人は“どんなにお金を積まれても絶対に離婚しない”って話していましたよ」(北野家に近しい人)

”どんなにお金を積まれても絶対に離婚しない”

1987年の記者会見では愛人Aの存在が引き金になり離婚への話合いを始めたことに関する会見でした。

それが2014年にたけしさんとA子さん不倫が発覚時は一転して離婚しないと語っています。

最終的に2019年に離婚が成立するわけですが、この5年間での心変わりはどこにあったのか。

私の見解としては幹子さんの意志は変わらないが、たけしさんが第二の人生をA子さんとあゆみたいという強い思いが勝ったからだと思います。

北野武と北野幹子の離婚

結果的に2019年に北野武さんと北野幹子さんの離婚が成立します。

ビートたけし=北野武=(72)と協議離婚が成立した幹子さん(68)が14日、報道各社に代理人の弁護士を通じて書面でメッセージを寄せ、「このたび、北野武さんと協議離婚が成立いたしましたことをここにご報告させていただきます」と離婚を報告した。離婚に至った経過や合意内容などに関しては「取材にお越しいただいても、何もお答えすることはできません。」と説明した。書面は「北野幹子」の名前で記されている。
引用元:デイリースポーツ

2019年6月に離婚が成立。

2020年2月にたけしさんと現在の嫁さんと再婚しています。

離婚成立報告の上記書面内では”何もお答えすることはできません”とありますが、たけしさんの不倫が決定的だったでしょう。

1980年代に双方が離婚を切り出しつつも、フライデー事件や子育てで曖昧になっていた夫婦関係が30年の月日が経ってようやく決着しました。

北野武が再婚相手を公に

2023年5月に初めて北野武さんは再婚相手の姿を公にしました。

離婚成立から4年、再婚から3年後のカンヌ映画祭で北野武さんは再婚相手の女性の姿を公開しました。

カンヌ映画祭でスタンディングオベーションを受けたり、共に祝福を受ける姿はどこか幹子さんとの夫婦漫才VTRを見た後の照れた姿にかぶります。

常に女性の姿が絶えないたけしさんですが、とても不器用ない一面があるのかもしれませんね。