望月重良,消えた天才
引用元:https://www.soccer-king.jp/sk_column/article/245532.html

望月選手のサッカー人生は難病に見舞われながら波乱万丈ではありましたがサッカーエリート、つまり天才の道を歩んできたといっても過言ではないでしょう。

2019年2月24日のテレビ番組『消えた天才』の中で紹介されるようです。

望月選手の現在が気になりますね!

望月重良さんは自らのサッカー人生をつづった『もう一度蹴りたかった』という本を出版しています。

この本の中では、いかにサッカーエリートの道を歩んできたかが分かります。

サッカーに魅了された人生。

プライベートでは現在結婚相手はいらっしゃるのかも気になります。

今回は望月重良さんについて迫ってみたいと思います。

望月重良のプロフィール

生年月日:1973年7月9日

年齢:46歳(2019年現在)

出身:静岡県清水市

身長:176㎝

体重:73kg

清水商業高校では2年先輩に藤田俊哉選手。

そして、1年先輩には名波浩選手がいました。

また、2年後輩には川口能活選手がいます。

この当時の清水商業は全国優勝が当たり前のようなチームで、それを裏付けるようにその後日本代表の中心選手として活躍する選手がうじゃうじゃいたんですね。

高校卒業後はJリーグではなく大学進学という選択をします。

進学先は筑波大学。

筑波大学では大学の日本代表に選出され、ユニバーシアード福岡大会で日本を初の大学世界一に導いています。

大学卒業後に選んだJリーグのチームは名古屋グランパスでした。

グランパスを選択した理由は当時、ピクシーと呼ばれていたストイコビッチ選手が所属していたことにありました。

名古屋グランパスではチーム不和があって、チームを追われることになります。

日本代表にも選出されていましたから、実力が伴わないというわけではないことは明白でした。

チームの和を見だした元凶とみられてしまっていたようです。

移籍先の京都パープルサンガで三浦知良選手と出会うことになります。

三浦知良選手との関係も相模原SCの代表となった現在まで続いています。

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望月選手の結婚相手は誰?

望月選手は2019年に46歳になります。

小学校で清水FCに選出されて以来、サッカー付けの毎日を送ってきた望月選手。

休みの日もサッカーをするくらいなので、どれほどサッカーに魅了されていたかが分かりますよね。

小学生であればファミコンにはまりそうなものですが、全く興味を持つことはありませんでした。

それでは女性関係はどうなのか?

サッカー選手としては常に注目される選手であり続けましたからもてなかったわけはありませんよね。

ところが、自らの著書『もう一度蹴りたかった』にも女性の影は見当たりませんでした。

その後の状況を確認すると、2015年5月に入籍をされています。

具体的などのような女性なのかという情報はありませんが、『もう一度蹴りたかった』の中ではそろそろ結婚相手も・・・という家族との会話が出てきます。

当時は決まった相手はいなかったと想定すると、現役引退後、指導者の道を歩み始めた2007年以降に運命の出会いがあったのかもしれませんね!

現在の望月重良の病気の状況は?

病気の名前は特発性大腿骨頭壊死症といいます。

望月重良の病気については難病であることが判明するまで時間を要しました。

異変があったのはジェフ市原に所属している時でした。

開幕前に負傷して開幕戦に間に合わなかったのですが、それだけでなく一向にコンディションが上がらない状況が続いていました。

当時の監督はイビチャオシム監督。

コンディションが悪いことは明確に察していたのでしょう。

望月選手が中心選手としてジェフ市原で活躍することはありませんでした。

もちろん、望月選手自身も難病であることはこの時点では判明していませんから、コンディションさえ回復すればスタメンとして活躍できると踏んでいたでしょう。

ところが、これ以降望月選手が第1線で活躍することはありませんでした。

結果的にジェフとは契約を更新されることはありませんでした。

再起をかけてヴェルディ川崎と契約間近にまでこぎつけましたが、なんと契約直前のメディカルチェックで自身が難病に侵されていることが判明します。

コンデイション不良が原因で調子が上がらなかったのではなく、難病がその原因であったことが判明したんです。

もちろん難病が発覚したい以上、ヴェルディとの契約は白紙に戻ります。

本来この時点で高校から日本代表まで同じ舞台で活躍してきた名波浩選手にはそのことを告げてもよかったかもしれません。

ところが、主治医の先生と担当のトレーナー以外に自らが難病であることを引退を決断するまで告げることはありませんでした。

病気がもとで調子が上がらないということを知られたくなかったんですね。

最終的に名波選手が第1線で活躍できる状態とは程遠い望月選手の姿をみて引退を進めます。

いや勧告したのかもしれません。

そして、ここでようやく自らが難病に侵されていたために、調子が上がらなかったことを告白します。

望月選手はその人生観に大きな影響を与えた三浦知良選手にさえ、難病であることを知らせませんでした。

京都パープルサンガ、ヴィッセル神戸そして最後のチームである横浜FCでチームメイトでした。

住むところに困っていた望月選手と同居していた時期もあります。

それでも難病に侵されていたということは伏せていたんですね。

サッカーに対する並々ならぬ情熱が伝わってきますね。

望月選手は現在相模原SCの代表を務めています。

三浦知良選手は2019年のシーズンも横浜FCの一員として現役を続行します。

この三浦知良選手が移籍することを熱望していて、なんと相模原SCの背番号11は空き番号となっているんですね。

三浦知良選手が本当に現役引退を考えるようになった時は最後のチームとして望月選手が代表を務めている相模原SCへの移籍も考えられるかもしれませんね。

とにかく、小学校時代から大学、そして日本代表に至るまで各カテゴリーで優勝を経験しています。

サッカーエリートという言葉は望月選手にこそ当てはまる言葉といっていいでしょう。

ただの才能だけで優勝に立ち会えたわけではもちろんありません。

上位のカテゴリーにステップアップするときはその実力差を痛感していました。

それでも不屈の精神でレギュラーを奪い、そして全国優勝を果たすことになります。

この第1線のフィールドから落ちることがなかったサッカー人生がある意味あだとなってしまったのかもしれません。

これは、三浦知良選手にも言われていたことですが、練習に対する姿勢はお世辞にもよかったとも言えないようです。

さらに言うと筋トレをしなかった。

若い時は技術とそれを支える身体のコンディションは一致していたのでしょう。

ところが、年を重ねるにつれて技術を支えるための体が追い付かなくなってしまった。

だからこそ股関節が悲鳴をあげてしまった。

10万人に1人という難病を発症してしまったことは不幸なことではありますが、全くその兆候がなかったわけではなかったと本人も自覚はしているようです。

望月選手は病気になってからチームの中心選手として活躍できなくなりました。

それまでは自らがチームを牽引していましたから、下手な選手に対しては辛辣に当たっていたようです。

それが原因で、名古屋グランパスを追われる一因にもなりました。

もちろん、選手を貶めてやろうという気持ちから辛辣に当たっていたのではなく、チームが強くなるために必要なことだと考えた末に言動でした。

ただし、病気を患いそれが元で活躍できなくなった後は、そんな弱者の立場の気持ちもわかる選手となりました。

現役選手を引退後は切り替えて今度は指導者としての成功を目標とするようになりました。

そして現在は自ら立ち上げた相模原SCの代表として活躍の場を得ているんですね。

病気の現状は?

現役を引退するまではスタメンで一度だけでも試合に出ることを目指していました。

本来は安静にしていないと人工股関節を入れなければ生活すらできないような難病です。

悪化しないはずがありません。

股関節の脳卒中といえる病気であって、徐々に壊死してします難病です。

試合に出る出ないの問題の前に生活すら満足に送ることができない状況だったといえます。

それでも不屈の精神でなんと横浜FCで途中出場を果たすまでこぎつけます。

途中交代を2試合しただけで、結果的にJリーグでの望月選手自身の最後の試合となりました。

ただし、難病が原因でヴェルディの契約を白紙に戻された後、横浜FCの契約を勝ち取るにはどんな壮絶な努力があったかは計り知れません。

現役を引退した後は難病の進行は止まっているようです。

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望月重良の現在の職業は?

望月選手は2007年に現役を引退してから次のキャリアの目標としてJリーグで指導者として成功することに定めました。

小学校時代から日本代表に至るまで第1線で活躍してきましたから、指導者としても不屈の精神で必ずJリーグで結果を残してくれるでしょう。

そして、望月さんは2008年に自らサッカークラブを立ち上げます。

その名前は相模原SCです。

現在はJ3を舞台にリーグ戦を戦っています。

今期は元日本代表の稲本潤一選手が加入しました。

昨期までは川口能活選手が所属していて、現役最後のチームだったことでも注目を浴びましたね。

川口選手は清水商業高校では望月選手の2年後輩になります。

望月選手が所属した前後2-3年のチームは日本最強といってよいです。

そんな人間関係が現在に至るまで続いているんですね。

第1線で活躍しただけにとどまらず、難病という挫折を味わい弱者や敗者の気持ちがわかるようになりました。

だからこそ指導者として成功することを祈りたいです。

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