[the_ad id=”2897″]

11月18日放送の消えた天才に上地雄輔さんがゲスト出演します。
予告動画で上地さんが涙するシーンは印象的でした。
この上地雄輔さんが紹介する消えた天才とは横浜高校野球部の丹波慎也投手です。
丹波さんは上地さんの1学年先輩。
また上地さんの1学年後輩には現中日ドラゴンズの松坂大輔選手がいました。
上地さん、そして当時の監督である渡辺監督も口をそろえて、
松坂以上の天才と公言しています。
平成の怪物といわれた横浜高校の松坂を超える逸材の丹波慎也投手は一体どんな人物なのか?
これは、上地雄輔さんの公式ブログの記事を読めばその謎が解けます。
そして上地さんの該当のブログ記事は感動します。
読んだら確実にファンになってしまうでしょう。
[the_ad id=”197″]
目次
消えた天才は横浜高校の丹波慎也!
丹波慎也投手は横浜高校1年時からベンチ入りを果たし、
2年時にはエースで4番として活躍していました。
練習試合4試合でノーヒットノーラン2回、ホームラン3本と結果を出していきます。
ところが、1995年の夏に急逝してしまいます。
死因は心臓肥大による急性心不全でした。
前日に試合をしていて、亡くなる予兆はどこにもありませんでした。

この画像が前日の試合の丹波慎也投手です。
最期の雄姿となってしまうとはだれも想像できなかったでしょう。
この試合後も、夜帰宅した後に父親とトレーニングをして、
そしてピッチングフォームのチェックをしたりとても元気な様子を見せていました。
ところが朝気づいたこと時にはすでに亡くなっていたんです。
まだ温もりがあり”何とかなるだろ”と当時の横浜高校の監督であった渡辺さんは懐古しています。

すでに横浜高校の監督を引退されていますが、
渡辺監督はこの写真を大切にしているんですね。

この写真は渡辺監督の財布から出てきました。
話されているように、常に持ち歩いているんですね。
どれほどすごい選手であったかがこの一つのエピソードからもうかがえます。
この後、丹波選手のお母さんの懇願もあり、
丹波選手を失い、一度はあきらめていた春の甲子園の
出場権をかけた関東大会に横浜高校は出場しました。
そして見事センバツ高校野球の出場権を獲得します。
※丹波選手がなくなってから春の甲子園出場権を獲得し、
そしてその後丹波選手の関係者がどのような奇跡を生んだかもう一つの記事にまとめてみました。
丹波慎也の死因は急性心不全・その後に起きた奇跡が泣ける!まとめ
全国的には、もちろん完全に無名な選手ですが、
関係者が二人も丹波さんの意志を継いでプロ入りを果たしているという事実。
この二人は確実に丹波さんがなくなったことによって覚悟を決めたことがわかります。
丹波慎也は上地雄輔の1学年先輩
丹波慎也投手は上地雄輔さんの1学年先輩になります。
逆に1学年後輩には現中日ドラゴンズに所属の”平成の怪物”松坂大輔投手がいます。
上地さんは丹波選手とも、もちろん松坂投手ともバッテリーを組んだわけですが、
その上地さんが松坂選手を超える天才だといっているのは説得力があります。
[the_ad id=”1088″]
上地雄輔のブログに感動!
上地雄輔さんは番宣動画で涙を流しています。
そのヒントが上地雄輔さんのブログの中にありました。
まるで青春小説を読んでいるかのような錯覚を感じるブログ記事です。

どこの高校に進学するか検討していた中で横浜高校は優先順位は低かったんですが、
丹波慎也さんをテレビで見たことにより一変します。
そもそも上地雄輔さんはキャッチャーです。
その視線からすごいピッチャーのいる高校に進学を決断するというのは新鮮ですね。
丹波選手がなくなったことを部員に伝えるシーンについての部分は、
とても臨場感があります。
監督は途切れ途切れ言った。
「今‥連絡が来て‥丹波が‥亡くなった‥」
「‥‥‥」
ざわついた空気が氷ついた。
いや。
「はい?」
という感じだった。
合宿所の食堂は長生きしてるセミの鳴き声だけが鳴り響いていた。
しばらくして3塁コーチャーをやっていた斉藤タケシ先輩が
「ぅ、ウソだ。」
「ウソだぁぁああ!!!」
と泣き崩れた。
それからは早かった。
みんな次々に泣き崩れてった。
よくドラマとかでいきなり悲しい事があると物を落としたりするでしょ?
あれ本当だよ。
俺は合宿所で丹波さんに返そうとしてたボールを
「‥ボトッ」
と落とした。
ヤバぃ。
ちょっと待った
今マジ俺泣きそぅ
引用元:https://ameblo.jp/kamijiyusuke/entry-10045380237.html
ブログを書きながら、上地さん自身が泣きそうになってるところも隠し立てせず書いています。
悲しみを抑えながら書いているんですね。
横浜高校には丹波選手の記念碑があります。


横浜高校には名だたるプロ選手がいますが、
愛甲選手や鈴木選手、多村選手、そして松坂選手でさえそんな記念碑はありません。
丹波選手は甲子園に行っていませんから、
もちろん高校野球ファンの記憶にもないわけです。
それでも記念碑が建ったという事実。
どれほどすごい人物だったかがわかります。
消えた天才の放送日
横浜高校の丹波慎也さんが紹介される消えた天才は11月18日19時より放送されます。
この番宣動画を見ても、上地雄輔さんの涙が一番印象的です。
高校野球ファンであれば知らない人はいない横浜高校。
そしてその横浜高校でエースで4番を務めた丹波慎也さん。
亡くなった後、エースを引きついた松井光介さんは、
その後ヤクルトスワローズにドラフトで指名を受けました。
控え投手であってもプロに進んだという事実。
また丹波さんの兄である丹波幹雄さんも、
同じくヤクルトからドラフトで指名を受けています。
丹波さんに影響を受け意志を受け継いだ選手が次々にプロ入りを果たしました。
丹波さんがもし生きて甲子園で活躍していれば、
松坂という”平成の怪物”は生まれなかったかもしれませんね。
[the_ad id=”199″]