秋元正博,現在
引用元:http://www.u-canshop.jp/maketetamaruka/

『消えた天才』で取り上げられることになったスキージャンプのレジェンド、葛西紀明選手が天才と認めていた選手がいました。

それは1970年代後半から-80年代中盤に活躍した秋元正博選手です。

ところが、ジャンプのファンであったとしても、この名前を知っている人は少ないんじゃないでしょうか?

葛西選手が天才と認めるほどですから、相当実力があったに違いありません。

どれほどの実力を持っていたのでしょうか。

そして何故オリンピックで成績を残すことができなかったのか。

これには2つの事故が起因しています。

一つは秋元さんが起こした交通事故。

そして2つ目はジャンプ競技中の事故です。

また現在何をしているのか。

人生を大きく変えた”1人の少年”とはいったいどんな少年でどのような出会いなのか。

葛西紀明選手が認めた天才の秋元正博選手について迫ってみましょう!

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秋元正博が起こした交通事故

秋元さんは1982年に北海道瀬棚町で老人を巻き込んだ加害事故を起こしてしまいます。

1984年のサラエボオリンピックを目指していて、25歳の時でした。

残念ながらこの老人は亡くなってしまい、秋元さんも逮捕されることになります。

協会が出した判断は1年間の謹慎処分。

ところが遺族から”秋元さんが復帰できるようにしてほしい”と復帰の嘆願書が出ていたようです。

事故で老人が亡くなるという悲しい結果を招いてしまいましたが、その遺族から復帰の嘆願書が出たという事実。

これは、秋元さんの過失の度合いがとても低かったのでしょう。

1983-84シーズンは国内大会に関しては出場が可能という条件付きで復帰を果たしますが。

サラエボオリンピックには出場することは叶いませんでした。

もし、サラエボオリンピックに秋元選手が出場していたら・・・

原田選手や葛西選手が脚光を浴びるのはまだ先の話になっていたかもしれませんね。

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秋元正博のジャンプのアクシデント【動画】

秋元さんが何故葛西紀明選手から天才と呼ばれるのか。

それはジャンプのワールドカップで4勝していることがまず挙げられます。

またジャンプのアクシデントも影響しているのではないでしょうか?

アクシデントに見舞われたのは1986年バットミッテンドルフで行われたフライング選手権でした。

秋元さんは横風にあおられて完全にバランスを失い、地面にたたきつけられてしまいました。

その時の映像がこちら。

冒頭に大きくバランスを崩し斜面にたたきつけられたのが秋元正博選手です。

この事故で足首を複雑骨折をしてしまいます。

現在も女子ジャンプでフライングジャンプは禁止されていますから、それほど難しく、危険なジャンプ台であることがわかります。

葛西選手はストイックにトレーニングに取り組む選手として有名で、

それだからこそ、40歳を超えた現在も第一線で活躍をすることができています。

その葛西選手をして天才と呼ばせる要因の一つにこのアクシデントも影響していると考えます。

それは極限まで攻めたジャンプをしたからということです。

このアクシデントを機にジャンプ競技が危ないというレッテル張りをされましたが、逆に言うとそれまではアクシデントが起こる確率が低かったといえるでしょう。

果敢に攻めたからこそ、それがあだになったアクシデントともいえますが、

逆に言うとそれだけストイックにジャンプ競技と向き合った結果ともいえます。

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八木弘和とのライバル関係

同時代、日本のジャンプ界を牽引した選手に八木弘和さんがいます。

この八木さんとの関係性を見ると、どれほど秋元さんがものすごいジャンパーだったのかがわかります。

八木さんは2002年にジャンプナショナルチームのコーチになったり、伝説となった1998年の長野五輪のジャンプ解説者を務めていました。

またオリンピックで銀メダルを獲得(レークプラシッドオリンピックでは日本唯一のメダル獲得)。

このように同時代に活躍したライバルとして認知度は八木弘和さんに軍配が上がります。

また八木さんは1982年3月7日の宮様スキー大会では大倉山ジャンプ競技場のバッケンレコード(ジャンプ台の最長記録)である119mを作り更新しました。

ところがこの記録を1985年に更新したのがライバルであった秋元選手でした。

『第27回HBC杯』で122.5mを記録しました。

もちろん現在は記録は塗り替えられていますが、それまで八木さんが記録を作るまで毎年のように更新されていたバッケンレコードが1990年まで更新されなかった事実は称賛に値します。

オリンピックで銀メダルを獲得したり、知名度では八木さんに劣りますが、

ワールドカップは八木さんがわずか1勝に対して、秋元さんは4勝を挙げています。

しかもそのうちの2勝は鳥人と呼ばれていた”マッチニッカネン”に競い勝ちしたものです。

俯瞰して成績を見ると、秋元選手の方が優れていたんですね。

1982年の加害交通事故や、1986年の選手生命をも脅かすジャンプでの大怪我がなければ更なる結果を残していたことは明白です。

秋元正博は新党大地の副代表だった

秋元選手は競技を引退した後、2005年に新党大地の副代表に就任しました。

新党大地の代表はいわずと知れた鈴木宗男さんです。

衆院選にも出馬しましたが、落選し供託金の300万も没収されましたから、思い描いた支持を受けることができなかったといっていいでしょう。

現在は新党大地のホームページに秋元さんの名前は見当たらないことから、政治活動はしていらっしゃらないようです。

秋元正博は現在何してる?

秋元正博さんは現在何をしているのか?

現在の年齢は62歳です。

引退しているとみてよさそうです。

そして秋元さんの人生に影響を与えた”1人の少年”が消えた天才の中で紹介されます。

この少年はいったいどんな少年でどんな出会いだったのか?

秋元さんの人生を語るうえで欠かせない人物となりそうです。

『消えた天才』放送終了後、追記します。

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