勧野甲輝
引用元:https://www.nikkansports.com/baseball/news/1584196.html

2018年12月16日放送の『消えた天才』でヤクルトスワローズの山田哲人選手が敵わなかった天才として、勧野甲輝さんが取り上げられます。

トリプルスリーを何度も達成している山田選手に敵わなかったといわせる勧野甲輝さんとは現在何をしているのでしょうか?

またそれほどの人物がプロでは全く活躍できなかったんですが、その理由も確認してみましょう。

勧野選手と怪我は切っても切れない関係にあるようです。

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勧野甲輝は現在営業として活躍中!

勧野甲輝さんが2015年にプロを戦力外となってからは九州三菱自動車で営業職として活躍してます。

当初は午前中が野球の練習で午後から営業の仕事をするという二刀流の活躍をしてましたが、2016年11月16日にTwitterにて現役引退を表明しています。

それでは、山田選手が敵わなかった選手が何故プロをわずか23歳で引退する結果となってしまったのでしょうか?

その原因はどうやら怪我にあるといってよさそうです。

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勧野甲輝がプロを戦力外になった理由は怪我?

勧野甲輝選手と怪我は切っても切れない関係にあります。

高校1年からPL学園の4番を任されていましたから、順調に活躍していればドラフト上位で指名されていた逸材でした。

ところが早い段階からスカウティングをしていたソフトバンクからの指名はなく、ドラフト5位で楽天から指名を受けました。

清原2世として将来を期待された選手がドラフト5位とはまず物足りないですし、やはり何らかの原因があるわけです。

そして、結果的に1軍に上がることができずに移籍したソフトバンクから戦力外通告を受けます。

一方、中学校時代に圧倒した山田哲人選手はヤクルトでは看板選手の一人ですし、侍ジャパンに選出されるまでに実力をつけています。

この差がうまれる結果となったのは度重なる怪我に要因があるといって良いでしょう。

勧野甲輝選手の高校からプロ入り後までの怪我とその前後の変化をまとめてみました。

PL学園:高校1年時の怪我

<怪我の前>高校1年にしてPL学園の4番に抜擢。

<怪我>2009年1月19日に大阪府内の病院で診察の結果、腰椎分離症と診断されて入院。

<怪我の後>

2年春の甲子園に出場するもわずか1安打に終わる。

PL学園:高校3年時の怪我

勧野甲輝,PL学園
引用元:https://plaza.rakuten.co.jp/kk60mild/diary/201408010001/

<怪我の前>

4番打者として活躍。

<怪我>

大阪大会の2回戦で8回の走塁中に右足首を負傷。

大阪府富田林市内の病院で右足首捻挫と診断

<怪我の後>

以降の試合でスタメン落ち。

大阪大会4回戦で山田哲人選手擁する履正社に敗れる。

楽天時代

勧野甲輝,楽天
引用元:https://matome.naver.jp/odai/2138058757775599801/2138091152907899203

<怪我の前>

楽天ゴールデンイーグルスにドラフト5位で入団

<怪我>

開幕前の春季キャンプ中に故障。

<怪我の後>

1軍公式戦出場無し

ソフトバンク時代

勧野甲輝,ソフトバンク
引用元:https://matome.naver.jp/odai/2140826336353784301/2140826580857845603

<怪我の前>

楽天を退団後、トライアウトを経てソフトバンクに入団。

<怪我>

2015年9月:スイング中に右肋骨を骨折

<怪我の後>

ソフトバンクから戦力外通告→プロ引退

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怪我により思ったような成績を残せなかった野球人生

このように将来を有望視された勧野甲輝選手は、怪我によりその後の活躍ができなかったことがわかります。


「プレッシャーは半端じゃなかった。清原さんの名前を汚しちゃいけない…。でも、今だから言えますが、偉そうに、てんぐになっていましたね」

引用元:https://www.nikkansports.com/baseball/news/1584196.html

このように高校1年時に名門PL学園で4番を務めたことでプレッシャーを受けたことと、一方で天狗になってしまったことが怪我の根本的な要因かもしれません。

しっかりと指導できていれば、野球に集中でき怪我にもならなかった可能性も捨てきれませんね。

中学時代に142kmというプロ並みの速球の持ち主でしたが、

その天賦の才を活かすことはできませんでした。

それほどプロで活躍することが難しいということがわかりますが、早期に活躍してしまい慢心があったのかもしれません。

確実に中学で142kmなんて比べる相手すらいなかったでしょう。

同じ様に速球派の投手でプロ入りしたものの活躍できなかった選手がいます。

それは帝京高校から横浜ベイスターズに入団した伊藤拓郎選手と重なります。

伊藤拓郎の現在は?帝京卒業後プロ引退まで活躍できなかった理由

伊藤選手は帝京高校1年生としては最速の148kmを甲子園で記録しています。

それでもその後の怪我に泣き高校では活躍できなかったのと、勧野甲輝選手同様にプロでは目立った成績を残すことができませんでした。

このように怪我がその後に与える影響は計り知れないですし、怪我が頻発するということはケアする指導者にも恵まれなかったともいえるでしょう。

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