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平岳大は外資系企業のサラリーマンだった!俳優に転身の理由とは?

外資系のエリートサラリーマンから俳優へ。

俳優の平岳大さんは最初から俳優業ではなく、外資系投資会社のサラリーマン時代がありました。

どんな会社に勤めていたのか?

また何故成功していたサラリーマンを辞めて俳優に転身したのか。

平岳大さんのサラリーマン時代に迫ります。

平岳大は外資系投資ファンドに努めるサラリーマンだった

平岳大さんは俳優を目指さずにサラリーマンになりました。

父親が平幹次朗さん、そして母親が佐久間良子さんと俳優の両親の元で育った平岳大さんは何故サラリーマンになったのでしょうか?

俳優になることが嫌だった

2世俳優の多くがぶつかる親との比較。

平岳大さんもそんな2世の一人でした。

小学生1年生の時に母親のサインを求められます。

小学4年生の時には両親が離婚し自宅に報道陣が押し掛け、通学電車の中づり広告に親の名前が出ていたりしまいた。

そんな経験を小学生のころから経験してきた平さんについて母親で俳優の佐久間良子さんはこのように語っています。

元々、『二世』であることが嫌だったんですよ、あの人は。暁星中学のサッカー部で活躍しても、結局は自分の後ろにいる二人の両親の名前の方が浸透している。そのことが嫌で、『自分の力でやる』ということで外国に行きましたから。
引用元:週刊ポスト

中学卒業後にアメリカに渡った平さんは、どこに行っても2世というフィルターで見られることに嫌気がさしていました。

だからアメリカに渡り、学業が終わった後も俳優の道を選ばなかったのでしょう。

平岳大のサラリーマン時代①不動産投資会社

平岳大さんはコロンビア大学大学院を卒業後、不動産関係の外資系投資会社に就職しました。

『朝日新聞×マイナビ転職』のインタビュー企画『ヒーローズファイル』に就職について語っています。

その内容をまとめると、

  • 大学院時代にドキュメンタリー番組を見る
  • 出演者の男性の生きざまに衝撃を受ける
  • ロサンゼルス在住
  • すぐに男性に電話をし訪問
  • 就職決定

コロンビア大学は東海岸のニューヨークにあります。

ドキュメンタリー番組の男性は西海岸のロサンゼルス在住なので距離はかなり離れています。

近所に住んでいるから尋ねてみるという簡単な訪問ではなかったわけです。

だからこそ、平さんの訪問を受けた男性はうれしかったでしょうし、その熱意に魅力を感じたのかもしれません。

このようにきっかけから就職までがまるでジェットコースターのようで、あれよという間に決まりました。

日頃から進路について考えていたからこそ、迷いのない決断力につながったのでしょう。

平岳大の外資系企業の仕事内容は?

平岳大さんは具体的にはどんな仕事をこなしていたのでしょうか。

国際ビジネスコミュニケーション協会のインタビュー記事に以下のように答えていました。

そのままアメリカの大学と大学院に進学。その後、日本のファンド会社に就職し、英語を使った業務に従事していました。
引用元:iibc

就職先は日本に帰国後で外資系企業の”日本の”ファンド会社なんですね。

平岳大のサラリーマン時代②医療系ビジネス

外資系不動産投資で成功を収めた平岳大さん。

しかし、一つの場所にとどまらなかったのです。

アメリカの医療サイトを日本に導入するビジネスに携われていたという情報があります。

医療系の仕事に転職した理由は、医師を目指していたことも関係しているのでしょう。

この仕事は平さんには合っていなかったようで、そして、そんな悩める時期に俳優の道に導かれるような感動をを味わう機会に出くわしました。

平岳大がサラリーマンから俳優に転身した理由は?

何故、平岳大さんはサラリーマンから俳優に転身したのか?

その理由が週刊朝日のインタビュー記事で語られています。

『王女メディア』に”手が震えるほど”感動

「日本にいた頃は、父の舞台を観たことはなかったんですが、アメリカでサラリーマンをやっていたとき、たまたまニューヨークでイギリス人女優が主演する『王女メディア』の舞台ポスターを目にしまして。『たしか、父がやっている芝居じゃないかな』と軽い興味で観てみたら、本当に、手が震えるほど感動しました」
引用元:週刊朝日

平さんの父親、平幹次朗さんがやっていた芝居と同じ演題『王女メディア』を軽い気持ちで鑑賞して

”手が震えるほど感動した”

と、感想を語りました。

何気なく見た舞台だったものの、父親の演技が記憶にずっとあったのでしょう。

この観劇が俳優業に転身するきっかけの一つとなります。

人生後悔したくない

平さんは直談判して外資系の投資会社で勤務するほどですから、ビジネスに成功したサラリーマンと言えるでしょう。

そんな人生を20代半ばで考えなおすことになります。

「でも、20代も半ばを過ぎた頃、“死ぬ前にあれをやっておけばよかったと後悔したくない。本当は何をやりたいんだ?”と自分に問いかけたら、何の迷いもなく、“役者”という職業が頭に浮かんだ。それで、その日のうちに辞表を提出したんです」
引用元:週刊朝日

自分の人生がこのままでいいのか?

サラリーマンであれ30代前後の人なら誰でも、自分の職業について考えることでしょう。

平さんも多分に漏れず、ビジネスマンとしての人生がこのままでいいのか考えます。

そして俳優への転身を決断するとその日のうちに辞表を提出する決断力がある。

舞台『鹿鳴館』で俳優デビュー

平岳大さんは2001年に舞台『鹿鳴館』で俳優デビューを果たしました。

息子役を平岳大さんは演じています。

舞台『鹿鳴館』は母親の佐久間良子さんがヒロイン役を、父親の平幹次朗さんが夫役をつとめている作品です。

インタビューで佐久間さんはこのように語っていました。

それで何日か後に『この役は岳大だ』と言われまして。ビックリもなにも、もう倒れんばかりになりました。でも、よくやったと思いますね。平さんも特訓なさったんでしょうけど。
引用元:週刊ポスト

息子のデビューが明らかになった時に、佐久間さんはかなり驚かれています。

一方、佐久間さんの見解によると父、幹次朗さんはデビューを事前にしっていただけでなく、特訓をしていたのだろうと語っています。

ここで、平岳大さんが俳優に転身するきっかけを振り返ってみましょう。

平幹次朗さんが演じたこともある舞台を観劇して、俳優を目指したということ。

サラリーマンとして社会人デビューを果たした平岳大さん。

父親の影響力の強さからも、俳優に転身するのは必然だったのかもしれません。