赤木春恵
引用元:http://noiri1986.com/profile/harue_akagi.htm

赤木春恵さんは旧満州生まれです。

そこで女優として生活していましたが、

その時の赤木春恵さんの写真がとても可愛いんです!

また第二次世界大戦を経験し、終戦を旧満州で迎えました。

若い女性が旧満州で戦争を終えることがどれほど、

苦悩に満ちたものだったのでしょうか?

満州からの引揚で何が起きたのかも触れてみます。

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赤木春恵の若い頃が可愛い!【画像】

赤木春恵さんといえば、「渡る世間は鬼ばかり」で姑役を演じたり、

「3年B組金八先生」の校長先生役がピンとくる人が多いと思います。

渡鬼は70代以降の作品なので、

高齢になってからの赤木さんがそのまま役者イメージとして定着したといっていいですよね。

当たり前ですが、それまでのキャリアの方が長いわけです。

渡鬼より前の作品で有名なのは「おしん」ですね。

ただこれも60代の事です。

当時は60歳が定年でしたから、やはり熟練期の作品です。

ということは、ほとんどの人、

特に40代より若い世代には赤木春恵さんのキャリアのほとんどを知らないわけです。

赤木春恵,若い頃
引用元:http://alwaysnewstrend.com/4970.html

これが若い頃の赤木春恵さんの若い頃の写真です。

おばあちゃんというイメージが定着しているせいか、

この可愛さがとても新鮮で引き立ちますね!

赤木春恵,若い頃
引用元:http://koimousagi.com/19940.html

この写真は赤木さんが学生時代のものです。

赤木さんは、1940年、16歳の時、松竹にニューフェイスとして入社し、

同年「二本松少年隊」の端役で映画デビューを果たしました。

その後満州にわたり、各地を巡業しました。

当時は戦争中ですから、各地への慰問が重視されていました。

具体的に各映画会社から俳優が10人くらい選ばれて、

合同慰問団が組織されます。

そして貨物用のトラックで、各地を回られたそうです。

この慰問に向かうトラックの中で出会ったのが、

後に親友となったのが森光子さんです。

森さんのことを赤木さんは”親しい友ではなく心の友という意味での心友”

と答えています。

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旧満州からの引き上げで何が起きたか?

1945年8月15日に日本がポツダム宣言を受諾して敗戦しました。

日本以外で生活をしていた日本人は日本に帰ってこなければなりません。

一般的に引き上げといいますが、

その引き上げの際、若い女性は屈辱といってもいい仕打ちを受けていたんですね。

戦後70年だった昨年、テレビ局の特番に出演したときのこと。「滞在先の満州で終戦になって、これで兵士で戦地に赴いた兄の借金を返さなくて済む、とホッとしたの。でも、それもつかの間でね。ロシア兵が押し寄せてきて、身を守るために髪の毛に粉をはたいて白髪にして、老女のメークをしたのよ」。これまで「戦争のことを思い出すのは辛い」と、家族にすら戦争について語ってこなかった赤木さんの実体験を聞き、衝撃を受けたといいます。

引用元:https://www.iza.ne.jp/kiji/entertainments/news/160408/ent16040813380013-n1.html

本来中立国であったソ連が満州になだれ込んできました。

そして、それから逃げるように日本を目指したわけです。

その引き上げの最中にソ連兵に襲われて

子供を身ごもってしまうような女性が続出したわけです。

満州では、終戦時の日本人満州開拓民24万人いましたが、

8万人、三人に一人が日本に帰ることなく死亡しました。

全体をみても悲惨な状況だったんです。

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女性にとっては耐え難い引揚

写真でみてわかるように当時から女優をしていて、

とてもきれいな赤木さんですから、

一番標的になることは明白です。

この困難をどのように赤木さんは乗り切ったのでしょうか?

赤木さんは醜い顔をした女性を演じたんですね。

そうすることで、ソ連兵から襲われることを回避することができました。

引き上げ時にどれほど多くの女性が被害にあわれたのか、

統計は取れていません。

ただ、結果として身ごもってしまった女性がわらをもすがる思いで、

駆け込んだ病院がありました。

それは二日市保養所です。

二日市保養所は厚生省引揚援護庁の医療施設です。

ここで被害にあわれた引揚女性の堕胎手術が行われました。

いかに旧満州からの引き上げが苦難に満ちたものだったのか。

もっと興味があれば、「流れる星は生きている」(藤原てい著)を読んでいただければ、

その悲惨な引き上げが克明に描かれています。

赤木春恵さんの若い頃を知ると戦争にリアリティを感じる

赤木春恵さんの若い頃にフォーカスを当てて記事を書きました。

当初は可愛い赤木さんの写真からどのような女優業をしていたのか気になりましたが、

それ以上に当時の世相が赤木さんの足跡をたどることでリアリティをもって知ることができました。

戦争中に俳優を生業としていた人はどのような生活を送っていたのか。

トラックに揺られて各地を巡業し兵隊を慰問する。

大切な仕事ではありますが、時代を色濃く反映していてとても興味がわきました。

そして、赤木春恵さんを語るうえで欠かせないのが、

満州からの引揚についてでしょう。

さらっとテレビで語られていましたが、

とてつもなく悲惨な引揚だったことは想像に難くありません。

2018年11月29日に赤木春恵さんは94歳で亡くなりました。

謹んでお悔やみ申し上げます。

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