ソンミ村事件で生存者はいる?虐殺の理由は?メディナ大尉死去

 

ベトナム戦争

 

ベトナム戦争中の1968年に起きた「ソンミ村虐殺事件」。

女性や子供を中心とした非戦闘員である数百人の村人を殺害した米部隊を率いたアーネスト・メディナ米陸軍大尉が、ウィスコンシン州で死去したとの報道がなされました。年は81歳だったようです。

5月8日に亡くなっていたことを家族が公表した。死因は不明です。

 

メディナ氏は当時、虐殺に関与した小隊が属する歩兵中隊を指揮していたため、軍法会議にかけられました。

裁判では虐殺が行われている間、それに気づいていなかったと主張しました。

そして責任は問われず無罪となりました。

 

当時のメディナ大尉はベトコンの殺戮に飢えていた人物だったところから、「狂犬メディナ」という渾名がつけられてたといいますから、どれほど残忍な指揮官だったのか身内にも知れ渡っていました。

それでも責任は一切問われず無罪となる。

 

これはベトナム戦争におけるアメリカの暗部であり、また戦争の悲惨さの象徴の事件でもあります。

全く戦争にかかわっていない住民、しかも女性や子供、高齢者といった明らかな非戦闘員が一か所に集められ殺害されてしまいました。

厭戦を招くとして、アメリカとしては事件を非公表としていたほど衝撃がアメリカ軍にとっても大きすぎる事件。

またこの事件は突発的に起きたものではなく計画的に進められた”虐殺”でした。

 

最近でミャンマーにおけるロヒンギャのジェノサイドが問題となっていますね。

いつも戦争になると被害を被るのは非戦闘員であることを忘れてはなりません。

今回はソンミ村事件について調べてみました。

生存者はいるのかどうか?

そしてそもそも虐殺に至る経緯は何だったのか?

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ソンミ村虐殺事件とは?

犠牲者は504人。

うち182人が女性(そのうち17人が妊婦)、

173人が子ども(そのうち生後5ヶ月以内のものが56人)、

60歳以上の老人が60人、あと89人が中年の住民です。

 

事件当日、いつも通りの朝を迎えたソンミ村は突然のアメリカ軍の襲来により地獄と化しました。

住民たちは何故自分たちが襲われるのかがわからず、まず逃げる者は容赦なく撃たれました。

そして一か所に集められた住民は容赦なく一斉掃射を受けました。

 

事件が起きた翌年から徐々にソンミ村大量虐殺事件が明らかになっていきます。
大量虐殺の首謀者とされるカリー中尉は69年9月4日に告発されました。

続いて70年3月には(2018年5月8日に81歳で亡くなった)メディナ大尉が告発されました。

そして同月、開かれた軍事法廷で虐殺に関与したカリー中尉、メディナ大尉を含む士官14人が殺人罪などで起訴されます。ところが、カリー中尉が71年3月31日に終身刑の判決を言い渡されだけで、メディナ大尉を含む残りの13人は証拠不十分で無罪となりました。
そして、1974年4月には、今度は終身惠を受けたはずのカリー中尉の刑期が10年に短縮されました。

翌年、1975年9月には、3年半の服役の後、仮釈放されました。

この不可解な措置は世界中から非難を浴びることとなりました。

 

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事件の生存者はいるのか?

2008年現在で、ソンミ村では奇跡的に虐殺を逃れた3人の生存者が生活を送っているようです。
その一人がハー・ティ・クイさん(83、2008年現在)で事件当時は43歳でした。

 

母、娘、息子とともに自宅近くの避難壕に身を潜めていましたが、他の村人とともにもっとも戦慄すべき虐殺の場所、トゥアン・イェン小集落のはずれにある農業水路脇に集められました。

そこで、米兵による一斉機銃掃射を受けました。

 

奇跡的に多くの遺体がクイさんの体に覆いかぶさるような形で守ってくれたためこの惨劇を生き延びることができたようです。

虐殺の理由は?

ベトナム戦争時、各村々は昼はアメリカ、南ベトナム軍、夜は解放戦線と接触しなければならない立場で、アメリカ側につけば、解放戦線から脅され、解放戦線側につけばアメリカ軍に殺されるという厳しい立場にいました。

そのため、ほとんどの村が表向きはアメリカ軍に協力し、裏では解放戦線に食糧などの援助を行っていました。

アメリカ側はそういった事態を打開する為に、村を外界から隔離したり、自軍の勢力圏外であれば村を焼き払って、別の村に移住させる等の強行策に出ています。

たとえば、アメリカ軍が安全圏内の村としてパトロールをしていた所、潜んでいたベトコン(南ベトナムの武装共産ゲリラ)に殺されるとします。
その村は瞬時にベトコンをかくまう反体制の村として討伐の対象になります。

 

当初は対象者だけ殺していましたが、いつしかそれがエスカレートして疑わしい行動をとっただけでも対象となっていきました。

これが究極的に行き着いた事件がソンミ村の悲劇といっていいでしょう。

 

アメリカ側の村なのか、それともベトコンをかくまっている村なのか。

事実はどうでもよく、勝手な過剰解釈により、虐殺が生まれてしまいました。

まとめ

ベトナム戦争時最大の悲劇であるソンミ村事件。

 

この事件を実質指揮したとされるアーネスト・メディナ米陸軍大尉が亡くなりました。

 

メディナ大尉は軍法会議にかかるも無罪。

 

2009年には米紙に「あの日ミライで起きたことについて、良心の呵責を覚えない日は一日もない」と述べ、事件について謝罪しているといいました。

天寿を全うしましたが、ソンミ村の事件をどう思い亡くなっていったのか気になるところです。

 

また、ソンミ村の生存者は3名。

 

調べる限り、2008年に一人の方が生存していると確認できましたが、末永く生きていてほしいですね。

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