勝谷誠彦
引用元:https://www.huffingtonpost.jp/2015/05/30/masahiko-katsuya_n_7474518.html

朝からショックなニュースが飛び込んできました。

それは勝谷誠彦さんが亡くなったというニュースです。

2018年8月21日に緊急入院された際、

病名は劇症肝炎、いわゆる急性肝不全で入院していました。

1か月後の生存率は50%といわれていた重症でしたが、

それを乗り切って、10月に一旦ラジオ復帰を果たされました。

再びテレビで勝谷さんが見られるのを期待していた矢先の訃報。

死因の病気は公表されていませんが、やはり肝硬変なのでしょうか?

また、入院理由の劇症肝炎はとても恐ろしい病気です。

どれほど恐ろしい病気なのか見てみます。

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勝谷誠彦の死因の病気は肝硬変?

勝谷さんの死因は何だったのか?

57歳という若さで旅立たれました。

8月に入院した際の病気は肝硬変一歩手前の劇症肝炎でした。

一歩手前の段階といっても重い病気であることに変わりはなく、

事実緊急入院された際、

勝谷さんが1か月後に生存していられる可能性は50%だったんです。

驚異の回復力で一旦復帰しましたが、

惜しまれつつ57歳の若さで11月28日未明に亡くなられました。

今のところ死因は公表されていません。

ただし、肝臓の病気が起因していることは間違いないでしょう。

入院当初は劇症肝炎で緊急入院されています。

重症アルコール性肝炎と診断されているとの報道もありますし、

要するにアル中だったんですね。

毎日、それも40年間欠かさずお酒を飲んでいて、

「血気酒会」などネットの配信動画はほぼお酒を飲みながらの収録です。

お酒の量を間違えると取り返しのつかないことになってしまうと肝に銘じたいです。

弟であり勝谷医院の院長の勝谷友宏さんによると、

勝谷さんは最後の2日ほどは人工呼吸器をつけていて、意識がなかったといいます。

予想以上に進行していたことがわかります。

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入院理由の劇症肝炎が恐ろしい!

まずは劇症肝炎とはどのような病気なのか確認してみます。

劇症肝炎とは、肝臓の細胞が8週間以内のうちに急速かつ急激な障害を受け機能低下を起こした結果、黄疸おうだん(肝臓や血液の異常で皮膚や粘膜が黄色くなること)、出血傾向、精神状態の悪化など肝不全症状が現れる病気です。肝機能障害が生じる原因には、B型肝炎ウイルスを代表とするウイルス、薬剤、自己免疫性肝炎などさまざまなものが含まれます。

劇症肝炎では、短時間のうちに肝臓の細胞が壊死えししてしまい、正常な肝機能が保てなくなってしまいます。肝臓はさまざまな機能を持つ臓器ですが、たとえば血液を固めるために重要な「凝固因子」と呼ばれる物質をつくります。劇症肝炎では凝固因子の産生機能も障害をうけ、消化管や脳などでの出血リスクが高まります。その他、肝臓は身体にとって不要な物質を解毒する作用も有しています。

アンモニアも肝臓で解毒を受ける必要のある物質のひとつですが、劇症肝炎では解毒作用が低下しています。アンモニアをはじめとした種々の物質が脳に対して悪影響を及ぼすことも知られており、意識障害を代表的な症状とする「肝性脳症」と呼ばれる状態を引き起こします。

引用元:https://medicalnote.jp/diseases/%E5%8A%87%E7%97%87%E8%82%9D%E7%82%8E?utm_campaign=%E5%8A%87%E7%97%87%E8%82%9D%E7%82%8E&utm_medium=ydd&utm_source=yahoo

”劇症肝炎とは、肝臓の細胞が8週間以内のうちに急速かつ急激な障害を受け機能低下を起こした結果・・・”

とありますから、

勝谷さんの場合この”急激な障害”とは、多量摂取・アルコール依存にあると考えて間違いないでしょう。

10月9日にラジオに復帰した際このように言っていました。

番組冒頭「恥ずかしながら帰ってまいりました」とあいさつし、当初は黄疸がひどく「横断歩道みんなで渡れば怖くないと言いますが、僕の黄疸(横断)歩道は1人で三途の川を渡ろうとして、すごく怖かったです」とコメントした。

引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181128-00000060-spnannex-ent

黄疸がひどいということは肝臓に起因していることは明白です。

劇症肝炎→肝硬変→肝臓がん

このように肝臓の症状は悪化していくようです。

また劇症肝炎とは年間で400人ほどしか発症しないという稀有な病気の一つです。

参照:http://www.hepatobiliary.jp/modules/disease/index.php?content_id=7

その稀有な病気にかかってしまった事は不運であるといえますが、

それでもアルコールに依存傾向だったことは明白ですし、

それが身を亡ぼす結果となってしまいました。

盟友でもある

ただし、毎日の中身の濃いコラム作成を欠かさず発信できるということは、

それに裏付けられる取材力があったといえます。

それだけ多忙な毎日を過ごしていたということです。

そうなると日々の仕事に対するストレスも相当なものだったでしょうし、

テレビで良い意味で言いたい放題でしたから、

それに対する反動も大きかったのは想像に難くないです。

これらのストレスに起因してか

2015年の5月ごろから8月の末まで勝谷さんはうつ病を発症していました。

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勝谷誠彦のプロフィール

生年月日:1960年12月6日

没年月日:2018年11月28日

年齢:57歳

出身:兵庫県尼崎市

職業:コラムニスト、コメンテーター、作家

学歴:早稲田大学第一文学部卒

職歴:電通→講談社→フリーランス

兵庫県尼崎市出身の勝谷誠彦さんは、開業医の家に生まれました。

灘中学校時代には生徒会長をつとめます。

生徒会長を務めていたものの成績は悪く、

下から3番目くらいの成績だったそうです。

成績が悪いといって灘ですから、目指す大学も難関大学だらけです。

現役時代は筑波大学医学群を受験(不合格)

浪人を経て東京大学文科Ⅲ類(不合格)

そして早稲田大学第一文学部に入学。

大学に入学した翌年、筑波大学医学群を再び受験しますが不合格となっています。

慶応義塾大学の法学部にも受かっていましたが、

自分で勝手に早稲田への進学を決めてしまったため、

親からの仕送りを打ち切られてしまいました。

そのため、家庭教師や土方などのアルバイトをして生計を立てていたようですね。

早稲田大学を卒業後、電通に入社するも数か月で退職。

その後、文藝春秋に入社して写真週刊誌の記者となりました。

「週刊文春」でコンクリート事件を担当します。

当時未成年であった加害者の顔写真や実名を載せましたが、

これは勝谷さんの判断でした。

「マルコポーロ」廃刊とともにフリーランスへ。

フリーランスとして、講義活動やコメンテーターとして活動をするようになりました。

そしてテレビでコメンテータとして勝谷さんが初めてテレビの視聴者に認知されました。

コメンテーターとして、日本テレビの「スッキリ」やTBSラジオの「ストリーム」、

「そこまで言って委員会」「あさパラ!」「ビートたけしのTVタックル」などの番組に出演していました。

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「勝谷誠彦」の××な日々

朝5時に起きて9時までに執筆する。

勝谷誠彦さんが毎日欠かさず執筆していたライフワークが「勝谷誠彦の××な日々」でした。

このコラムは有料で2007年から始まり、

入院されるまで途切れることはありませんでした。

ブログが有料化される前は「さるさる日記」(現在はサービス終了)とよばれるブログサイトで

「勝谷誠彦の××な日々」を更新されていました。

文字数は1000文字と少ないんですが、改行無しでびっしりと書かれていたのが印象的に残っています。

勝谷誠彦の人となりがわかる動画

最後に勝谷さんの人となりがわかる動画を紹介します。

これから紹介する動画は民主党政権が誕生する前、

2009年に放送されたものです。

テレビでも歯に衣着せぬ鋭いコメントに定評がありましたが、

それ以上に自由気ままにリラックスして話をしています。

プライベートにかかわることまで赤裸々に語られているので必見です。

極右と叩かれることも多かったですが、

この動画で語っているように小沢一郎議員を一貫して支持していますし、

尼崎では辻本清美議員の応援演説にも立ちました。

 

この動画で共演している宮崎哲弥さんは、

出演していた「スッキリ」の中で、

勝谷さんの訃報を受けて以下のようにおっしゃっています。

「勝谷誠彦風のコメントをするならば、酒をずっと飲み続けて自死に近い死だったと思います」

思い残すことはなく、納得されて逝かれたのだと思います。

太く短い人生でした。

今、私自身もこのようにブログを書いています。

個人的にネットでブログを書くようになったのは、

さるさる日記の「勝谷誠彦の××な日々」がきっかけでした。

テレビのコメントよりももっと深くニュースを切り込んでいて、

毎日の更新を楽しみにしていたのを覚えています。

改めて、ご冥福をお祈りします。

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